Tシャツが似合わなくなってきた気がする

先日ユニクロで、黒いTシャツを買いました。

クルーネックTという、少し肉厚の、何の変哲もないTシャツ。

近場に買い物に行くときに、何も考えなくてもよくて、

おかしくないギリギリのラインをつける格好をしたくて、

やっぱりデニムにTシャツだろう、と思い、Tシャツを購入したのでした。

 

Tシャツなんて人生でどれだけ着てきたか。

何も考えなくたって、それなりになる、と、

Tシャツには実績に基づいた厚い信頼を置いてきたので、

そのときも試着などはせずに適当に購入したのです。

 

それから家に帰って、着てみたのですが

ん?

…んん??

鏡を見てみると、なんとなく違和感を感じたのです。

 

イメージしていたのは力の入っていない

カジュアルなおねえさん(?)でしたが、

鏡に映っていたのは、

ただの手抜きファッションのおばさんでした。

 

20代のころは、何も考えずにTシャツをきても、

子供っぽくなることはあれどもおばさんになることはなかった気がします。

そのころから特に体形が変わったわけでも無く。

肌のハリツヤのせいなのか?

ともかく、Tシャツとデニムなんていう素材で勝負的なファッションは

もはや30代には厳しいのかもしれません。

 

いままで、わりと自分がそのデザインを好きかどうかで

服を選んできましたが、似合うかどうか、という目線を

必要とするお年頃に突入したようです。

 

きっと、まじまじと鏡で見ていないからわからなかったけれど、

似合わなくなっている昔の服もあるのだろうな…

これからどういうファッションをしていこう…

私にはどんな服が似合うんだろう…

模索します。

 

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旅行欲が無くなってきたみたい

ハタチのころに初めて海外旅行に行って、
海外が好きになりました。
それから約10年で、たくさんの国を旅行してきました。
長期滞在も何度か経験。

オーストラリアに一年間いた時は、国内旅行しまくって、
東西南北縦横無尽にかけまわっていました。

最初は、本当に自分の好奇心から旅行をしていたと思います。
でも、次第に、旅先で何をする、というのが目的なのではなく、
そこを訪れることや、旅をすること自体が目的になっていったように思います。

旅行は、もはや半分義務のような気持ち。
まとまった休みができて、
お金の都合が付けば、もはや行かなければならない。
友達がいいって行ってたから、行かなければならない。
そんな気持ちもあったように思います。

大した興味も知識も持たずに観光しても、
その建物や町のことを全然理解できないまま帰る、
ということが多々あって、
なんとなくもったいないことしているような気持ちになっていました。

旅先で大聖堂的なものを見ても、
今までさんざん見てきたので、あまり感動しなくなっていたし、
食に関して言えば日本のご飯に勝るものは無いし。
旅に行っても、なんだかその地を踏むことだけが
私にとって大事になってきていて、
そこで何をするかをおろそかにしはじめたように思います。
なんというか、ウォークラリーしているような感じ?

昔は、それでも楽しかったです。
旅は、私にとってはアドベンチャーでした。
自分のつたない英語がどれだけ通じるかを試したり、
トラブルですら楽しんでいました。

でも、もうそろそろ、そういった旅は、お腹いっぱいかな。
体力が無くなってきたせいでしょうか。
体力と気力の必要な海外旅行に、魅力を感じなくなりました。

北海道とか沖縄とかはどうだろう?
国内旅行は…人に会う、とかの目的があれば、
行きたいかなぁ。
でも観光のための旅行は、しばらくいいかな。

次に観光のためにする旅行は、
訪れる町や建物のことを勉強して、
本当に興味を持ったときかな。

ちょっと若いころと考え方が変わってきたのを感じたのでした。

 

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大断捨離

気が付けば前の記事を書いてから、一カ月以上たっていた…

でもブログにしろ日記にしろ、
私の場合、書こうと思わない期間は
意外と満たされてると言うか幸せな時期だから
それはそれでいいかな、と。


さて、最近、実家に置いている自分の荷物の断捨離をしました。
タンスをあけてみると、昔から捨てられない性分だったので
おもちゃや文房具、教科書など、大量の不用品が出てきました。

あまりに大量で、「断捨離するぞ!」と張り切っていた私も、
何をどういう基準で断捨離すればいいのかわからず、
最初途方にくれましたが、
過去3年使わなかったものはもう一生使わんやろ、ということで
結構バッサバッサと処分していきました。

本はまとめて宅配買取してもらい、
おもちゃや洋服などはフリマで売りさばきました。
(売れ残りも多数…)
思い出の品も、携帯で写真をとって、捨てました。

ゴミが大量に出ました。
やっぱり時間がたつと傷みも激しくなり、
ゴミに出すしかないものも増えるんだな、と。
普段からこまめにモノの処分に向き合っていれば、
ゴミとせずに売ったりあげたりできたものも
あったように思います。
今後は定期的に断捨離しようと思いました。

まだまだ捨てられるものはありそうですが、
とりあえず今はここまでにしよう。
モノを減らし、お掃除をしてお部屋がきれいになりました。
部屋がきれいになると、他のやらないといけないことにも
やっと取り掛かろうかなという気分になりますね。

さて、先月からニートの私。
そろそろ、再就職活動するかなぁ。

アラサーの悲しみはどこに吐き出せばいいの

詳細を書けないんですが、

一緒に働いている5つ年下の子に

要約すると、

『自分の意見を採用してくれないからもう一緒に働きたくない』

と言われました。

その子とはいろいろな仕事を一緒にしてきて、

相手の性格もわかっているから気をつけながら

接してきたつもりだったので、衝撃でした。

 

彼女の話を聞く中で、そんなに世の中甘くないだろ、と思ったけど

彼女も彼女で悩んだんだろうからもう何も言えない…

 

悲しいです。怒りも湧いてくるけど、なにより悲しい。

 

まあいいんだ。

多分責めると精神的につぶれちゃう子だともわかってるから

いやもうほんと、彼女の主張を受け入れるしかない。

 

人間関係って、しんどいなーって思います。

 

ところで、アラサーの悲しみはどこに吐き出せばいいんでしょうか。

 

彼女と私の共通の知人に吐き出したい。

なぜなら双方の性格と立場をわかってくれているから

説明が楽で、わかってもらいやすいから。

でも、お互いの立場、その後の仕事のしやすさがあるから、言えない。

 

普通は、彼氏や旦那さんなのかな。

いない。

 

友達かな。

でももう説明が大変でめんどくさい。

 

そう思って、ただただ耐える、を選択するのでした…

 

物事のいろいろな機微がわかってきて

自分の発言がどこにどう影響しちゃうか想像がついてくるから

年々、簡単にものが言えなくなってくる。

それにともなって感情を素直に吐き出すのが下手になってきてる。

でも、吐き出してない感情を自己処理するのはまだまだ下手。

心に澱が溜まっている。

生きるのは大変だー

 

 

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むかしの日記帳

大学生のころから、毎日ではないですが、気持ちを整理したいときに
ときどき日記をつけていました。

私は思い出を忘れやすいタイプなのか、
友達と話していて、『あんなことあったねー』と言われても
思い出せないことが多い気がします。

日記を読み返すと、あのときこんなことがあったのか、とか、
こんな感情を持ったのか、とか、過去体験したことのはずなのに、
新鮮で面白いのです。

ただ、読み返すことは、一年に一度あるかないか。
普段は基本的に忘れています。

日記にはいいことも悪いことも書いていて、
それこそ恥ずかしいようなこともたくさん書いています。

日記をとっておく、ということは、他の人に見られるリスクもある。


とっておきたいような、さっさとそんな恥ずかしいものは処分してしまいたいような。
両方の気持ちがあったので、結論をずーっと先送りにしていました。


で、最近、やっと、日記を処分することにしました。
ミニマリストに興味を持ち始めて、
ものを減らすことを意識し始めたのがきっかけです。

私の日記は、頭を整理するために書いている部分が大きいので、
書いた時点で、もう日記の役目はほぼ終わりなのかなと。

そして、やっぱり人に見られるかもしれないリスクを抱えながら
今後も保管するのは嫌だ。

思い出せない思い出は、思い出さなくてもいい思い出なのかな。

そう割り切って、今度実家に帰ったときに、処分しようと思います。


さようなら、いままでありがとう、わたしの日記帳たち。

 

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どうやらここ3年、運気がよろしくない模様

もともと、占いは好きで、
3000円くらい払って対面式の占いに行くこともありました。
対面式の占いは、当たるかどうかではなく、
全く利害関係のない第三者に話を聞いてほしくて
行っていた感じがあります。

暇なときにネットの無料占いで性格診断をしては、
『これ当たってる~』と楽しむこともありましたが、
これは自分の性格を言語化したくてやっている部分が
大きかったなと思います。
自分はどういう人間かを捉えたかったんだと思います。

私の占いの利用の仕方と言えばこんな感じで、
占いでこう言われたからその通り行動する、ということもなく、
今ツイてるとかツイてないとかの、運勢というやつには
ほぼ興味がありませんでした。


それが、去年あたりから、意識が変わり始めました。

高熱が続いたり、大きなけがをしたり、人間関係をこじらせたりして
心身共に疲れたな…となったのが2016年。

2017年も、海外旅行に行った先で友達が体調を崩したり、
私もそのあと体調を崩したり。
そして3度も飼い猫に噛まれる事件があったり。

それまで、あまり、自分のことをツイてないと思うことは
無かったのですが、なんだか劇的にツイてないぞ…と
思った2年間でした。


そんな事件があったあと、たまたまいつものように
ネットサーフィンの流れで占いをしていたときのことです。
そのときは細木数子さんの六星占術をしたのですが、
そこで、自分が、2016,2017,2018年と、『大殺界』という
星の元にいることを知りました。

細木数子さんと言えば、昔くりぃむシチューさんと一緒にやってた
バラエティ番組を見ていたぞ…
そしてその番組で、『大殺界だから何をやってもダメ』みたいなこと
よく言ってた気がする…

これを見て、2016年頃からなんだかいろいろよく無いことが
続いている気がする理由がわかったような気がしたのでした。

そして、他の占いも調べてみることに。

算命学というやつでは、2016,2017は『天中殺』というやつで、
悪いことが起きやすい時期のよう。
2018年もその余韻が残る年、とのこと。
かずこと同じこと言ってるやん…

さらに、テレビでよく見るゲッターズ飯田さんの
五星三心占いというやつもやってみたところ、
やはり2016年、2017年、2018年の運気はよろしくない模様。

みなさん声をそろえてそんな…


救いなのは、2018年は、2016年・2017年に比べてまだ運気が上向きに
なってきているとのこと。
底辺からは脱している模様。

2018年もあと半年とちょっと。

今年いっぱいおとなしく過ごして、
なんとかこの時期を乗り越えたいと思いました。


今回は、運気の悪い時期を迎えてから運気が悪かったことを
知ったため、何の対策もとれないままその時期を迎えたのですが、
これを事前に知れていたら、それなりの行動もできたのでは、
と思いました。

調べると、大殺界とか天中殺とかには、
勉強したりボランティアしたりするのが向いているらしい。

と言うわけで、最近は自分の運勢に関する情報を収集したりしています。

運勢のいい悪いに一喜一憂して振り回されるのではなくて、
今後の予定を立てるときのひとつの参考材料に使っていこうと思います。

 

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自分の小ささを認めはじめた

ミニマリストに興味を持ち始めてから、
考え方が少し変わってきたように感じています。

自分のちいささを認め始めたというか
背伸びをしない考え方をしはじめました。


・ものをたくさん持って、適切にそれらを
 管理していけるほどの管理能力は無い

・休日に予定を詰め込んで忙しく
 遊びまわれるほどの体力は、もうない

・人の自慢話をニコニコ聞きながせるような器じゃない

・トモダチをたくさん作って、
 みんなとの縁をずっと大事にしていくまめさはない

・仕事と恋愛、両方を上手にこなせるほど器用じゃない

・というかそもそも恋愛力は0点に近いだろう…


ネガティブ思考とはまたちょっと違います。
淡々と、自分の小ささを認められるようになりました。

向上心がそこそこある性格だったので、
もっと頑張れる、といつも自分にはっぱをかけている感覚がありましたが、
自分の小ささを認めて、
この小さな自分で処理できる物事を所有しようと思いはじめると、
無理に頑張るところが少なくなって、
気持ちがすこし楽なような気がしています。

自分のサイズを理解して、すべきところで努力し、
そうでないところは、自分が楽であることに
もっと気を遣おうと思いました。

 

楽に、生きたい。

 

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